
地震発生確率と経済的ジレンマ。「自分事」として、大切な人を守るために
これまで本コラムでは、Vol.18~Vol.20の3回に渡り、AIによる予測技術や、歴史的な地質痕跡、そして森林保全という観点から、日本の災害リスクと対策について書いてきました。
そのような中、今回のコラムVol.21の執筆中に青森県東方沖を震源とする地震が発生し、初めて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が発表されました。 いつ襲ってくるかわからない地震に対する備えの必要性を、私自身、改めて強く感じています。
そこで今回は、少し視点を変えて、「地震の発生確率や臨時情報」と、それが私たちビジネスパーソンに突きつける「経済的なジレンマ」について掘り下げ、それをどう「自分事」として捉え直すべきか、考えてみたいと思います。
南海トラフ地震の発生確率「80%」から12年ぶりに見直し
政府の地震調査委員会が今年の9月26日に発表した「南海トラフの地震活動の長期評価」の一部改訂で、南海トラフ地震が今後30年以内に発生する確率について、「20〜50%」と「60〜90%程度以上」という2つの想定を併記しました。
従来は発生確率を80%程度としていましたが、12年ぶりに算出方法の見直しを行ったのです。
二つの確率が併記されたことで「わかりにくいな」という印象を持った方も多いでしょう。
多くの海溝型地震で採用されている、発生間隔のみを用いた計算方法(BPTモデル)では「20〜50%」。
一方、地震発生間隔と隆起量データを用いた計算方法(すべり量依存BPTモデル)では「60〜90%程度以上」となります。
地震発生間隔と隆起量データを用いた計算方法には、「時間予測モデル」という考え方が含まれています。昭和の東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)は過去の南海トラフ地震と比べて小さめだったため(とは言っても巨大地震に変わりはないのですが)、次の地震は早めに発生する可能性があるという考え方です。
「南海トラフの地震活動の長期評価」の一部改訂に併記された
南海トラフ地震が今後30年以内に発生する確率
| 多くの海溝型地震で採用されている、発生間隔のみを用いた「BPTモデル」 | 時間予測モデルとBPTモデルを融合した「すべり量依存BPTモデル」 |
|---|---|
| 20〜50% | 60〜90%程度以上 |
どちらの計算モデルにも一長一短があり、現時点で互いに優劣がつけられないと判断され、それぞれの確率を併記することとなりました。
背景には東日本大震災の発生を予測できなかった地震学者の皆さんの苦悩もあります。
東日本大震災では、それまでの地震予測の考え方では想定できない事態が発生し、様々な見直しを余儀なくされました。
このことは、現時点で巨大地震の発生を予測することは非常に困難な状況であることを示しています。
参照:「南海トラフの地震活動の長期評価」を一部改訂しました(地震調査研究推進本部):2025年12月時点
https://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/subduction_fault/summary_nankai/
「事前の知識」と「新しいデータ」を組み合わせて推測を更新していくベイズ推定
データ分析を勉強する私たちにとって、知っておくべきなのは、今回の南海トラフ地震の発生確率計算において「ベイズ推定」という手法が用いられたことです。
「ベイズ推定」とは、大量のデータを集めて客観的な分析を行う一般的な統計手法とは違い、事前の知識や経験に新しい情報を掛け合わせて、物事の起こる確率や、推測の「確からしさ」などを更新していく手法です。
私たちになじみのある例としては、迷惑メールの判定やWebサイトのレコメンド機能などでも活用されています。
今回の発生確率計算では「ベイズ推定」を用いることによって、予測のばらつきを算出し、確率に幅を持たせているのです。
| ベイズ推定 |
|---|
| 事前の知識や経験に新しい情報を掛け合わせて、物事の起こる確率などを更新していく手法 迷惑メールの判定やWebサイトのレコメンド機能などにも応用される |
地震発生の確率について私たちが考えるべきこと
2009年に発生し、300人以上が死亡したイタリアのラクイラ地震では、地震学者らが一審で有罪判決を受けるという衝撃の裁判がありました。
地震発生の数日前に、大地震の可能性は低いとの見解を公表したことがその理由だと言われています。
日本では、2024年8月に初めて南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されると、様々な混乱も起きました。
地震が起きても起きなくても、発表した側は結果に対するリスクを負うことになります。
非常に難しい決断を迫られる状況であることがわかります。
また、南海トラフ地震の発生確率の数字が高すぎるという趣旨の様々な意見があることも承知しています。
しかしいつ発生してもおかしくないという点については誰も否定できません。
私たちにとって大切なのは、発生確率や臨時情報を発表した学者や行政担当者を責めることではありません。
これらの情報は、私たちが適切な行動をとるための材料であり、味方であると認識することだと思います。
確率はあくまで確率です。
現代科学の限界もしっかりと認識したうえで、情報を冷静に受け取り、正しく恐れて正しく行動する。
これも非常に難しいことですが、私たち日本国民全員が意識すべきことだと私は思います。
空振りリスク:実ビジネスへの影響のジレンマ
とは言え、「南海トラフ地震臨時情報」や地震発生確率の見直し、被害想定の新たな発表などに伴う実ビジネスへの影響は無視できません。
先ほど書いた初めての「南海トラフ地震臨時情報」の発表時には、多くの観光地で宿泊キャンセルが相次ぎ、実ビジネスへの影響が出ました。
また、製造業のサプライチェーン確保の課題もあります。
皆さんの記憶にも新しいかもしれませんが、香港や韓国など一部の地域では、根拠のない「2025年7月の大災害」デマの影響で訪日需要が大きく落ち込み、減便や予約キャンセルが相次ぎました。
東日本大震災を予測できなかった教訓や反省もあると思うのですが、南海トラフ地震発生確率の計算の基となるデータには、かなり広い想定震源区域が含まれています。
ただ、震源の想定区域が広がるほど、地震が起きずに予想が外れてしまう「空振りリスク」も大きくなってしまいます。
これからは、「空振りリスク」によるビジネス面の影響に備えるための仕組みも考える必要があると思うのです。
パラメトリック保険の可能性
パラメトリック保険とは、事前に定められた「指標(パラメーター)」が一定の条件を満たした場合に、事前に決めた定額の保険金を支払う保険です。
実際の損害額の査定などが不要になるため、迅速な保険金の支払いが可能になります。
| パラメトリック保険 |
|---|
| 事前に定められた「指標(パラメーター)」が一定の条件を満たした場合に、事前に決めた定額の保険金を支払う保険 実際の損害額の査定などが不要になるため、迅速な保険金の支払いが可能になる |
日本でも、住んでいる地域で観測された震度に応じて定額の保険金が支払われる東京海上日動火災保険の「EQuick保険」があります。
事故の連絡や損害保険会社による立会調査が不要で、最短3日間で保険金が受け取れるというものです。
MS&ADインシュアランス グループは、中小企業や大企業向けに、震度インデックス型の補償サービスを行っています。
こちらは、震度6弱以上の地震が発生した場合に、震度に応じて定額の保険金が支払われるというものです。
空振りリスクのことを考慮すると、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)の発表をトリガーとしたパラメトリック保険も検討されるべきではないでしょうか。
その際には、保険料の負担を軽減するための政府の補助や、基金などの検討も必要になるでしょう。
あわせて、空振りに終わった際の、地域振興策なども考えるべきかもしれません。
参照:地震に備えるEQuick保険(東京海上日動火災保険):2025年12月時点
https://www.tokiomarine-nichido.co.jp/service/net/equick/
参照:【国内初】中小企業向け震度インデックス型定額払商品の販売開始(三井住友海上火災保険):2025年12月時点
https://www.ms-ins.com/news/fy2022/pdf/0829_1.pdf
参照:大企業向け震度インデックス型地震補償を販売開始(三井住友海上火災保険):2025年12月時点
https://www.ms-ins.com/news/fy2025/pdf/0723_1.pdf
半割れ:最悪の事態の想定も必要
南海トラフ地震で警戒すべき事象に「半割れ」があります。
「半割れ」とは、想定震源域の東側か西側、どちらか半分だけがずれ動いて巨大地震が発生し、その後に残りの半分も連動して、さらに巨大地震が起きるケースです。
「半割れ」が発生した場合には南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されることになります。
これまでわかっている範囲では、次のような「半割れ」の例があります。
・1854年に安政東海地震が発生した約32時間後に安政南海地震が発生
・1944年の昭和東南海地震の約2年後の1946年に昭和南海地震が発生

南海トラフ地震臨時情報が発表されたら!(内閣府「防災情報のページ」)より引用
(https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/rinji/index2.html)
半割れ後の次の巨大地震はすぐに起きるのか、数年後に起きるのか予測ができません。
場合によっては、数年の間、次の巨大地震が起きるまで警戒を続けなければならないという、まさに神経が磨り減るような長期戦になるかもしれないのです。
ただ、半割れという最悪の状況が想定されるからこそ、それを踏まえた準備や心構えが必要だと切に感じます。
半割れの状況を克服するためには、私たちみんなの知恵を結集し、減災や早期復興に向けたビジネスの力で備えておくことが必要だと思うのです。
ちなみに、太平洋戦争の最中に起きた1944年の昭和東南海地震は、国や軍によって、その発生自体が隠されました。
敵国に不利な事態(日本の弱み)を知られたくなかったためです。
被災地の人々にも箝口令(かんこうれい)が敷かれ、口頭による伝承もほとんど出来ませんでした。
本来なら、その後の防災・減災に役立つはずだった情報やデータが残されていないのです。
このような愚行は決して繰り返してはならないと改めて強く思います。
参照:南海トラフ地震臨時情報が発表されたら!(内閣府「防災情報のページ」):2025年12月時点
https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/rinji/index2.html
防災は遠いものでもなく、他人事でもなく、「あなたと、あなたの大切な人のためのもの」
最後にパーソナル防災サービスの「pasobo(パソボ)」を紹介します。
「pasobo」は、スマホでいくつかの質問に回答するだけで、その家庭にあった災害リスクを診断し、そのリスクに応じた行動アドバイス、さらにその人、その家族に必要な防災商品まで提案してくれるパーソナル防災コンシェルジュアプリです。
このサービスを提供している株式会社KOKUA(コクア)CEOである泉 勇作さんは、2歳の時に阪神淡路大震災で被災し、大学生の時に起こった東日本大震災をきっかけに、その後全国の被災地でボランティア活動を行いました。
そして、企業への就職を経て、株式会社KOKUAを立ち上げます。
彼が起業した一番の理由は、彼にとっての防災が「隣にいる大切な人の幸せが続くようにと思って起こす行動」だからだそうです。
彼が書いている文章の中で、特に印象に残ったフレーズを引用させていただきます。

Pasoboホームページより引用
(https://pasobo.jp/)
「防災は遠いものでもなく、他人事でもなく、『あなたと、あなたの大切な人のためのもの』であるということです。災害はいつ起こるか、誰にもわかりません。起こった時に正しい行動が何かも絶対的な正解はありません。そして、完璧な準備なんてものもありえません。しかし、災害による被害を、少しでも減らすことはできます。」
彼のメッセージが日本中の人に届いて欲しい。
そう願わずにはいられません。
参照:pasoboホームページ:2025年12月時点
https://pasobo.jp/
参照:僕が「防災」で起業した理由(泉 勇作 / 防災ベンチャー代表):2025年12月時点
https://note.com/kokua_bosai/n/n94eff9ecc967
今回学んでほしいポイント
- 数字に振り回されるのではなく、その背景(ベイズ推定や計算モデル)を知り、「絶対的な正解はない中で、どう判断するか」という姿勢を学ぶ
- 「パラメトリック保険」のような新しい仕組み(DX・FinTech)をヒントに、経済的損失(ジレンマ)を乗り越える可能性を考える
- 防災や減災は義務感でやるものではなく、「大切な人を守るための能動的なアクション」であると認識する

株式会社Live and Learn 講師 DXビジネスエヴァンジェリスト
福島 仁志
ふくしま ひとし
[DXビジネス・プロフェッショナルレベル認定2023] 株式会社Live and Learn講師 東京都在住。 新卒でNTTに業務職として入社。 顧客応対業務やシステム開発、法人営業の業務に従事したのち、 2016年にNTTを早期退職。2017年より株式会社Live and Learnで主に研修講師やコンサルティング業務に従事。 「消費生活アドバイザー」「ITILエキスパート」「ビジネス法務エキスパート®」などの資格を持つ。 趣味はバレーボール、プロレス観戦など。
