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特集4:現場の事例で学ぶマネジメント連載ヒューマン・マネジメントのテクニック(5)

 
●エリア(3)ケース事例


 筆者がまだ若かった頃の話である。当時筆者は、中堅規模のITベンダーA社に在籍し、システム開発プロジェクトのサブリーダを担当していた。この開発の顧客は大手銀行B行の販売企画部門であった。筆者は、この開発を担当をすることが不安であった。ただでさえ、優秀人材が多いといわれる大手銀行である。その中で、高い営業能力を持つ人材が集まる部門が相手になるのだから、どんな無理な要求をされるのか分からない。これが筆者の不安の理由であった。
 この開発でPMを担当したのが井田(仮名)である。井田は筆者より10歳年上で当時40歳前半。筆者とは面識がなく、井田がどれだけの能力をもつのか分からなかった。見た目は温厚な感じで、お世辞にも「切れる」タイプではない。筆者は、井田がリーダとしてB行に負けない対応ができるのか不安に感じたことをよく覚えている。
 筆者の予想通り、井田はB行の要求をことごとく受け、利害の対立を避ける行動をとった。B行の担当者が仕様変更を繰り返しても、井田は「できる限り、ご要望をお聞きします。お困りなら何でも言ってください」と言って引き受けてしまう。幸い、井田が引き受けてくる変更は大きなものではないのでプロジェクトの進捗が遅れるまではいかないのだが、SE側の調整をする筆者は大変である。次第に筆者は井田に不満を募らせ、井田のやり方ではなく、B行と対等の立場で交渉したいと思うようになった。B行に対し、できないものはできないと強く主張し、無駄な作業を排除するように努めたのである。このため、B行では井田の評判はよかったが、筆者の評判はあまりよくなかったように思う。
 あるとき、問題が生じた。筆者のミスで重要なシステム仕様要件をもらしていたことが判明したのである。B行は大騒ぎになった。筆者が事情を説明したが、B社の担当者は筆者を許さず、事態は深刻化した。解決策を考えていたものの、やはり独力で解決することができなかった筆者は、井田に正直に話し、指示を待つことにした。先方と交渉するために急いでB行に赴いた井田は、帰ってくるなり筆者を別室に呼んだ。

井田: 芦屋君、大丈夫だよ。先方は当初の要求を取り下げてくれる。許してくれたよ。
芦屋: 本当ですか? あんなに怒っていたのに……井田さん、どう交渉したのですか?
井田: 「今回は私に免じて許してください」と言ったんだよ。
芦屋: それだけですか?
井田: そうだ。当然、今回漏れた要求は、先方の業務に大きな影響を与えないことを確認した上でね。先方は「井田さんには借りがたくさんあるからしょうがない」と言われたよ。「いつも無理言っているから、今回は責めない」と言ってくれた。まあ、いくつも「貸し」を作ってきたから助かったということかな。
芦屋: 今回は、交渉で勝ったというわけではないのですね……
井田: 違うよ、芦屋君。今回は交渉力の勝利だよ…… 実は、交渉で大事なのはいくつ「貸し」があるかなんだ。
芦屋: 「貸し」ですか?
井田: 確かに、その要素も必要だよ。でも、システム開発のように長期を通じて交渉をする場合、決め手になるのは人間関係、つまり、信頼関係なんだ。貸しが多ければ、交渉を有利にもっていける確率が高くなるんだよ。
芦屋: そうなのですか……
井田: 人は、自分を助けてくれる人や献身的に尽くす人を攻撃できない。それどころか、何とかお返しをしようとする。これを心理学の世界では返報性と呼ぶそうだ。だから、私はいつも先方が要望すれば積極的に対応し、貸しを作ろうとする。もちろん、できることに限ってだけどね。特に、今回の場合、相手は営業経験のある人たちだから、貸し借りには敏感だと思ったんだ。営業は人の世界。必ず強い返報性が働くと仮定した。
芦屋: 返報性…… 井田さんは、誰からそれを学んだのですか? どのようにしてそんな交渉スタイルを身につけたのですか?
井田: いろんな先輩の方法を聞いてまわり、マネジメントや心理学の本を読みながら勉強したんだよ。でも、知識として知っているだけでは駄目だった。「こうしたらうまくいく」という仮説を立て、実際に試して、うまくいったことを積み上げていったんだよ。

 井田の方法は相手のミッション、行動のインセンティブを理解したヒューマンマネジメントである。このような行動ができる人は他人から攻撃されることはなく、高い評価を得ることができる。筆者自身、非常に勉強になった事例であった。

 次回は、エリア(4)について説明する。
 

■芦屋 広太(Asiya Kouta)氏プロフィール
芦屋広太氏 OFFICE ARON PLANNING代表。IT教育コンサルタント。SE、PM、システムアナリストとしてシステム開発を経験。優秀IT人材の思考・行動プロセスを心理学から説明した「ヒューマンスキル教育」をモデル化。日経コンピュータや書籍への発表、学生・社会人向けの講座・研修に活用している。著書に「SEのためのヒューマンスキル入門」(日経BP社)、「Dr芦屋のSE診断クリニック(翔泳社)」など。

サイト : http://www.a-ron.net/
連絡先 : clinic@a-ron.net

 
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